唐津くんちは、唐津神社の秋の例大祭で、16世紀の終わりに始まったと伝えられています。現在は11月2、3、4日の3日間開催され、約50万人もの観光客が訪れる唐津を代表するお祭りとなり、ユネスコの世界遺産にも認定されています。
呉服町商店街が立地する呉服町は、14台の中で4番山。1840年頃に、呉服町には具足屋などがあり、兜や甲冑などに詳しく熱心な人が居たため「源の義経の兜」に決定したと伝えられており、天保15年(1844年)9月に地元の有志らによって製作されました。
呉服町では今もなお大切に祭りの精神や文化が継承されており、町の過去と未来を繋いでいます。呉服町が辿った唐津くんちの歴史を、写真とともにご覧ください。
大正時代頃の資料と思われます
左に同じく貴重な写真の一枚です
昭和37年総塗り替え記念撮影
昭和37年の御旅所引き出し風景
昭和45年頃の米屋町通り勢ぞろい風景。今の止め方とは逆に止めてある珍しい風景です。
昭和48年義経の兜130年記念撮影
昭和60年ごろの写真。今まさに御旅所に向かって神幸中
御旅所の曳き込み風景
御旅所から午後の神幸に向けての曳き出し風景
引き出し後、江川町に向かい、交差点を右にかじを切り曲がるところです
ここから近年の曳山風景です。宵山が始まる前、呉服町で待機中の義経の兜
材木町通りで休憩中の曳山行列
大人の曳き子もこの時ばかりは笑顔で童心に帰ります
東端折り返し地点の急カーブ。おくんちの見どころの一つです
旧城下町の古い町並みの中、狭い道を縫うように巡幸中
狭い道路では、梶取り達の腕の見せ所です。タイミングを間違えると事故に繋がるので、慎重に切り返します。
平成14年度曳き込み直前風景
呉服町から数代の曳山は、向きを変え、後ろ向きで御旅所に入ります。
平成15年に綺麗にお色直しした龍頭です。
源の義経の兜の特徴である「シコロ」。一枚一枚組み上げられてます
曳山を支える土台と調整部分
内側から曳山を見上げたところ
センギと滑車。曳山の高さをここで調節します。
歴代の製作者や塗り替えに携わった人たちの記録です
車輪と梶棒。梶棒は御覧の通り台の中に伸縮収納されます
掃除風景
腰を入れて磨かんかい
顎紐。大人数人がかりで結びます。
完成
曳山囃子練習風景。
10月になると、連夜こうして囃子の腕を磨きます
このような風景が、町のいたるところでみかけられる様になります
昭和30年代まで呉服町の肉襦袢(表)
裏
昭和40年代から現代の呉服町肉襦袢(表)
裏
現在の呉服町の法被(表)
裏